子どもの頃、本を読むのが好きでした。
学校がお休みの日の朝は、家族が起きるまで
お布団の中で本を読んでいる時間が、大好きでした。
家には、たくさん本がありました。
世界の名作シリーズや、偉い人のお話全集。
物語が好きで、図鑑は背表紙の記憶しかありません。
伝記の中で、よく覚えているのがヘレン・ケラーです。
盲・聾 (ろう) ・唖 (あ)の三重苦だった彼女の世界を
知りたくて、目をつむり、耳をふさいで、想像しました。
でも、もし自分がそうなったらと思うと
こわくてたまりませんでした。
ヘレン・ケラーのことを思い出したのは
モンテッソーリの言語のおしごとのことを
考えていたからです。
ヘレンが水に触れ、それが指文字で示された
「水」ということばと一致したとき
はじめて、ものとことばの関係性を理解した
場面を思い出したのです。
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ヘレンには、それまでにも、水に触れて手や顔を
洗ったり、水を飲んだりする経験がありました。
でも、その感覚印象に名前をつけることができたとき
世界はことばで表わされることを知ったのです。
ことばによって、意志の疎通が可能になったことが
暗闇にいたヘレンと、世界を結びつけました。
わたしたちも、想像できるはずです。
海外で、自分の要求をうまく伝えられないもどかしさ。
まだ、ことばを話すことのできない、赤ちゃんも同じです。
話せなくても、黙っていても
心の中にはたくさんの想いや考えが、存在しているのです。
一般的に母語の言語教育は
読み書きから始まると捉えられますが
モンテッソーリでは、読み書き以前の
話しことばに丁寧に関わることから始まります。
絵カードをつかって、暗記で語彙を増やすのではありません。
様々な具体物に触れ、見て、匂いを嗅いで、
可能なものは味わい、音を感じ
すべての感覚を最大限につかって、取り込んだ印象を
ことばという抽象的なものに、移行させるのです。
それは、概念の形成という、知性の働きです。
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もちろん、教育を受けなくても赤ちゃんは
自然にことばを話せるようになります。
モンテッソーリの環境には、概念の形成と抽象化を
混乱なく、よりスムーズに行うための教材や
そのことを理解した、大人の関わりが準備されているのです。
視覚と聴覚を失ったヘレンですが、それらを補うように
嗅覚、味覚、触覚が極めて鋭敏だったそうです。
感覚に訴え、動きを通して学ぶモンテッソーリ教育は
ヘレンの知性を開花させる大きな手掛かりとなりました。
ヘレンは自分自身のことを
“Product of Montessori”(モンテッソーリの産物)
であると言っています。
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言葉というものがあるのを
はじめて悟った日の晩。
私は嬉しくて嬉しくて
この時はじめて
「早く明日になればいい」
と思いました。
ヘレンケラー 自伝
ことばを使えるということが、どれほど素晴らしいことか。
ことばを理解し始めた子どもが、もっと知りたいと思う気持ちに応えること。
感情の爆発や暴力ではなく、冷静に、ことばで、自分の考えや思いを
正しく伝えられるようになること。
そのために、ことばを獲得する0-6歳に、言語を「学ぶ」ということは
とても大切なことだと、あらためて感じます。